僕は変人が好きである。だからというわけじゃないが先日、近鉄吉野駅で一人の男性と待ち合わせしたのだが、ここで会う約束をしていた彼も少し変わり種だった。

　その男は県内にある公共のトイレをつぶさに調べ、ホームページで発表している便所マニア。
　そもそも以前、新聞で彼の存在を知ってから一度会ってみたいと思いつつ、今回やっと彼のトイレ取材に同行する約束がとれたわけである。

　待ち合わせの時間よりすこし早く　「はじめまして」　と改札口へ現われたのは右川氏。想像とは違い、まじめな風貌の青年だった。挨拶もそこそこに、さっそく我々は奥千本にある金峯神社（きんぷじんじゃ）へむかった。

　坂道を歩きながら、僕は彼にぶしつけな質問してみる。なにゆえ公衆便所なんぞ調べているのか？
「トイレはね、大宇宙そのものですよ」　と彼はいう。おお、さすがに僕の睨んだとおりの変わり者である。いったい、トイレのどこが大宇宙なのか聞いてみたい気もするが、にわかに黄ばんだ便器の隅を指さして　「この部分が大宇宙です」　などと紹介されても、共感もてる自信がないので質問を代えてみた。

「不潔なトイレもあるでしょう？　におったりとか」すると彼は少し曇った顔で答える。
「たしかにニオイというのは、大切な危険回避の要素です。でも実際は、知識とイメージが混乱していて、現代人は病的なほどの潔癖症になってると思いませんか？」　そして彼は続けた。

「たとえば山道を歩いていて突然、山賊に襲われたとします。そのとき山賊から　“ここにウンチとウランがある。どちらかを持って帰れ、そしたら命は助けてやる”　なんて脅されたとしますよね。僕はひょっとして、ウランを選ぶ日本人も多いんじゃないかと思うんです。知識的にウランが放射性物質だと知っていても、イメージ的にクリーンだから。それが現代人の病じゃないかと思うんです」　と、ひととおり話し終えた彼は遠くの山を見てる。

　山賊の要求は若干不自然だが、右川氏の主張は理解できそうな気もする。電車のつり革にすら触れない現代人が増えてると、どこかで読んだこともあるし。

　まだ少し雪の残る道を、しばらく歩くと金峯神社は見えてきた。風光明媚な奥千本は空気がよく、透明度あふれる風景を尻目に、さっそく我々は目的のトイレへ向かった。参拝者用のトイレは小屋のように作られていて、内部は懐かしい汲み取り式だ。

「山奥だから必然的に汲み取りになってるんですけど、高地の便所って不思議に臭わないんですよね。これは僕の持論ですが」　などと、右川氏は研究者らしい意見を述べて笑う。うむ、さすがその道のプロである。僅かながら、彼を見直し始めているところへ

「ところで岡山さん、もし山賊があらわれて“汲み取りと水洗ではどちらがエコロジーか答えよ”って脅されたら、どっち選びます？」　と、またまた突飛な質問をはじめるが、それで山賊は儲かるのか？　意外にいい奴じゃないのかと、だんだん山賊の登場自体が意味不明で、やっぱり右川氏はおおいに変わっていると確認したのちに、あらためて彼を見直すのを見直したいと思うのである。

　やがてトイレの見学を終えた我々は、ふもとの駅まで歩いて戻りはじめた。帰り道、右川氏がボソリとこんな話をはじめた。
「最近の子供たちって、学校で用を足せない子が四割もいるんです。個室のトイレを使うと友達にイジメられるからって。なんだか切ない話ですよね。排泄って、とっても大切なことを誰かがタブーにしちゃった。で、そのしわよせが子供たちに現われる。臭いものにフタをした結果じゃないんでしょうか？」　彼は子供らの些細な行動に、心の影がみえるというのである。そして

「トイレのゆがんだイメージを、少しでも治せたら……」　そういって照れ笑いするが、僕が出会う変り者はいつも、穏やかにやさしく、そして反主流的である。

　駅までの長い坂を下りながら、二人でトイレと環境問題などをかなり激しく議論していたのだが、右川氏いわく
「それなら岡山さん、“地球温暖化よりも人権問題が先決だ”　って山賊が……」　僕は例の、ＮＧＯ出身の強盗に脅迫されつつ、いちいち山賊を引っ張り出さんと話のできないシャイな右川氏に、また少し親近感を覚えるのであった。

 　せっかく吉野まで一緒に来たのだから、最後はキッチリと右川氏の質問に答えて帰りたい。山賊が現代人に突きつけた、二者択一の件である。持って帰るのは排泄物かウランか？　僕は右川氏にひとつたずねる。
「で、それらは誰のか？」　彼は単純にこう答えた。
「ん？　どっちも平凡なおじさん」　ちょっと待て。平凡なおじさんがふつう、ウランなんか置いていかないだろう。
「だったら、非凡なおじさん」

　相変わらず厳しい条件に、わずかながら放射性物質に気品を感じた、吉野の坂道だったのである。