後部座席から言いたいこと

 

 桜井市多武峰(とうのみね)の談山神社を訪ねてきた。

 神社へは愛車の古いスクーターで向かったのだけど、もともと僕はバイク好きである。考えてみれば単車道楽は子供のころ、親父にバイクの後部座席へ乗せられ、あちこち連れ回されたのが原因ではないかと思う。
 深夜に山の中腹まで連れて行かれ、幼い子供にとって何の興味もない、夜景見物に度々付き合わされたものだ。ひどい時は毎晩のように山へ引っ張って行かれた。

 しかも夜景見物に連れて行かれるのは大概、親父が会社で面白くないことがあった日とか、母と夫婦ゲンカした時などで、それこそ般若の面のように恐ろしい形相の親父が、古びたエンジンをぱたぱた響かせながら暗い山道を登っていくのである。まだ幼かった僕は
「このまま山の中に捨てられてしまうんじゃないだろうか? もう少し、良い子でいた方が得策だったのではないか?」などと、我の人生を真剣に心配しながら、親父の背中にしがみついていたのを憶えている。

 しかし幸か不幸か、一度も僕は山中に置き去りにされることはなく、こうして元気に我が家の恥を書き続けている。親父としては、今ひとつ勇気のなかった自分の決断力不足をしみじみ後悔していることであろう。

 TANZAN.JPG - 144,682BYTES ところで、いま僕が愛用しているこのスクーターは、数年前フリーマーケットで売りに出ていたのを一万円で買った中古だが、談山神社へ向かう長い坂道の途中で突然“ボキッ”っという嫌な音がし、そのまま動かなくなってしまった。

 過去の経験からするに、あの嫌な音はクランクシャフトが折れた音である。それはこの老バイクにとって臨終を意味したが、さて困った。こんな山奥で壊れたらどうやって帰る?

 そこで仕方なく、道の端にバイクを置いたまま、残りの坂を歩いて上った。曲がりくねった道を進み数軒の茶店を過ぎると、そこに紅葉と蹴鞠(けまり)で有名な談山神社がある。

 そもそもこの神社の「談山」という社号は、大化改新という歴史上の大事件に由来する。中大兄皇子と藤原鎌足の二人が、この地で蘇我入鹿暗殺を密かに談合したことから、談い山(かたらいやま)と呼ばれ始めたというのだが。

 しかし考えてみれば、事件当時の鎌足は三十二才、中大兄皇子はまだ二十歳の頃である。この年齢にしてすでに歴史を動かす計画を談(かたら)っていたのだからすごい。 比べて僕がその年頃に談っていた内容といえば、「お前の好きな子、誰や?」とか「去年のアンパンは食えない」などと、どうしようもなく情けない話を続けていたような気がする。にわかに恥ずかしくなってきたが、己の未熟さを深く反省しつつ、じっくり神社を見てまわった。

 階段を上がって行くとすぐに見える「木造十三重塔」はその名の通り、わずか十六メートル強の高さなのに屋根は十三段とむやみに多い。
 さらに進むと、恋神社(東殿)の隣りにポツリと祀られている小さな石が見える。「むすびの磐(いわくら)」と呼ばれる縁結びの石だ。恋神社のとなりに縁結びの石。これも多少のこじつけ感は否めないが、効力が強いという噂もあった。しかし、昔から僕は非科学的な願掛けを信じない唯物論者であり、こんな石コロに女運を託すなんて僕のプライドが到底許可しないが、わざわざここまで足を運んだのである。いまさら正論を並べても仕方ないので、足早に土下座して通り過ぎた。

  石段を下り、ひと通りの見学をすませてから馴染みのバイク屋へ電話をかけた。
「……だからぁ、バイクが全然動かんのですよ、それでトラックで迎えに来て欲しいのよ。えっ? 一万円!? 高いな。千円にマケてや。え、歩いて帰れ?」 所詮、僕の“談い山”で語るレベルはこの程度であり、歴史を動かすにゃほど遠いが、千円でバイク屋を動かしたのはさすがである。

  それはさておき、毎晩のように般若面で暗黒の山道をバイクで連れ回し、僕を恐怖させてくれた親父であるが、この原稿を書いてる最中に突然他界してしまった。
 生前の親父は自分のことを書かれるのが照れ臭かったらしく、たまに僕の作文を読んでは「誰が酒びたりのアル中じゃ!?」などとブツブツと文句を並べていた。それにも関わらず、またこうやって親父の永眠を公表するのは、幼い頃に怖い思いをさせた親父へのささやかな仕返しである。

  ついでにもう一つ話せば通夜の夜。たくさんの親戚が涙していた中、一匹のセミが飛んできて部屋の中を飛び回っていた。
 そのセミは遺影にとまったり棺桶を覗き込んだり、まるで通夜の見学でもしているかように動き回ってる。僕の妹はそんなセミを見つけてこう言ったのだった。
「お父さんがセミになって、通夜を見に来たのかな」 そんな彼女の小さな声で、その場にいた一同はさらに涙が溢れてくる。「そうね。お父さんが来たんだね」そう親戚の一人が涙声で答えた……その時である。

 遅れて焼香にやってきた近所のオバちゃんが
「わるいわるい、遅くなっちゃって。まだ焼香できんのか?」と明るく叫びながら、セミを“ブチッ” っと踏んづけちまった。
 「おあっ」と全員から悲鳴のような声が出たが、次の瞬間……セミの話は全部無かったことになった。リセットである。セミなんていなかったし、人間がセミになるわけがない、いやいや親父はセミが大嫌いだったなどと、急に理論的な展開を見せたあと「本当にいい人だった」というコンセプトで泣くことにした。

  オヤジ……また公表しちゃったよ。照れ臭かったら俺の下手な作文など読んでないで、さっさと安らかに眠ってくれ。バイバイ……。

 

 

 

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