「ポチのヤシ酒」



 それはインドの小さな温泉町で、ひどい汗疹(あせも)の湯治治療をしていた時のことだった。

 宿泊していたホテルには下働きの子供が三人いたんだけど、仕事が暇になると僕の部屋へよく遊びにきた。でも現地の言葉はわからないから、十分に彼らの相手をしてやれない。それでも、ゆび相撲を教えたり、ビートたけしの「コマネチ」を見せてやると、それだけで彼らは大喜びした。まぁ、僕も相当ひまだったわけである。

 ある日、温泉から戻ってくると子供らが部屋へ入り込み、好き勝手に遊んでいた。僕は身に付けられるもの以外の貴重品を持っていないから、部屋のドアは寝る時よりほか、いつも開けっ放しでいる。だから誰でも自由に部屋へ入ることができるのだった。

 彼らは帰ってきた僕を見つけるとすぐ飛びついて来て 「遊んでくれっ、何か日本の唄を歌ってくれ!」 と要求した。彼らの望み通り三曲歌ってやると、彼らの一人が僕に何やら質問を始めた。質問をしてきたのは“ポチ”と呼んでいた少年。もちろん本名ではない。

 以前、彼に名前をたずねたのだが 「ポチ……」 とか答えたみたいだがよく聞き取れず、僕が勝手に“ポチ”と犬のような名前を付けてしまったのだ。本人も気に入っているようだったので、いつもそう呼んでいた。

 ポチは早口で何かを尋ねてくるのだが、それがサッパリ解らない。かろうじて知っているインド語は 「アッチャー」(正確な意味は知らなかったが「良い」とか「はい」という意味らしい) の一言だけで、彼の浴びせかけてくる質問には、すべてこのアッチャーで答えていた。

 ところが彼らには、何を質問してもアッチャーしか返答しない僕の態度が面白くて仕方ないらしい。こちらが返事をするたびに、お互い顔を見合わせて大爆笑している。悪ノリしているのだ。質問の内容も段々エスカレートしているようで、僕が想像するところ
「お前の母ちゃんはデベソか?」
「アッチャー」
「お前はバカだろう?」
「アッチャー」
と、大体そんなレベルの質問だと思っていた。しかし僕にはそんなのどうでもいい。早くこの子らを追い返して昼寝しようと、適当に「アッチャー、アッチャー」と繰り返していたのである。

 やがて入り口のドアーの前に、一人の男が凄い形相で立っているのに気が付いた。男はこのホテルのオーナーだった。しかし子供たちは、彼が後ろに立っているのに気付いてない。同じ調子で意味不明の質問を続けていたが、僕が子供たちにオーナーが後ろにいることを知らせると、みるみる彼らの顔から血の気がなくなり、一斉に弁解を始めた。

 ポチは僕を指さし、すべてが僕の責任であるかのような口振りで許しを請うていた。僕は彼らが仕事をさぼって、この部屋で遊んでいたのを言い訳しているのかと思っていたが、オーナーの怒りの原因はそうじゃないらしい。
 オーナーはベッドに腰をかけ、やさしい口調の日本語でこう言う。彼は日本語がペラペラだった。

「君はなぜ私の悪口を言うのかね? この子らは、君が私を悪く言ったので注意をしていたのだと言っている」 もの静かだが、明らかに腹の底から煮えくりかえった声で僕にそう尋ねた。

ムムム……子供らがしきりに返事を誘導していたのは、オーナーの悪口だったのか……素晴らしい。
 じつは僕もこのオーナーが嫌いだ。下働きの子らをすぐ殴るし、金持ちの観光客にはやたらに愛想よいが、貧乏湯治者には 「早く出て行け」 と毎日うるさい。

 彼は馴れ馴れしく僕の肩に手を回し、他人の悪口がいかに良くないかをねっとりと言い聞かせている。それがじつにイヤな感じなのだ。僕はオーナーの問いにこう答えた。

「悪口を言うのは、あんたが好きじゃないからだ」
「なぜだ?」 オーナーは意外な返事に、しろ目を血走らせてさらに尋ねる。

「あんたが子供らを棒で叩くからだ」 するとオーナーは、気持ち悪い笑顔を浮かべてこう言う。
「君は何もわかってない。この子らは何も知らないのだ。家が貧しいから教育をうけてない。だから失敗をする。私は教育をしてやっているのだよ。私は親代わりだ。子供を叩くのは“しつけ”をしてるだけなんだよ」 そう言ってオーナーは僕の両足をさすりだした。これは彼独特の親愛を表す行動なのだが、きもち悪いんだよ。

 しかし僕はひるまず、膝の上にあった彼の手を強く握り返してこう言った。

「じゃ、あんたは棒で叩かれたことがあるのかい?」 途端に彼の目は真剣になって僕を見つめた。
「あんたも子供のころ、親に叩かれたか?」
 オーナーはその質問に何も答えず、そのまま立ち上がり部屋を出てしまった。彼の実家はこの辺りでも有名な資産家である。インドにおいて名家の親は、自分の子供を決して叩かないし、叱らない。自由奔放甘やかし放題であると、そんなお国柄を聞いていたから、あえていじわるな質問をしてみたのだった。

 オーナーが部屋を去ったあと、僕は子供らに日本語でこう怒鳴った。
「お前ら〜っ、ぜんぶ俺の責任にしやがって! 憶えてろよ」 そう吐き捨てると彼らを部屋から追いだし、やっと昼寝を始めたのである。

 夕方近く目が覚めると、窓の格子からポチが室内の様子を覗いていた。僕が起きたのを確認したポチは、窓越しに素焼きのコップを差し出している。中に入っていたのはヤシの実から作った酒だった。
 ヤシ酒は信じられないほど安い酒だが、それをくれるという。昼間の一件に対する、彼なりの償いなんだろう。バツの悪そうに笑うポチの表情からすると、今回はあまり叱られずにすんだようだ。あのオーナーも意外にいいところあるじゃないか。

 白く濁ったヤシ酒を、僕が一口すすってみせる。それで和解成立を感じたのか、ポチはいつものようにかるく手を振って、彼の職場である炊事場へ駆けていった。心なしか軽やかな彼の後ろ姿を見ていると、ふだんは生意気そうに見えたって、やっぱりまだ子供なんだなぁ、と微笑ましく思ってしまうのである。

 ところで一つ質問があるんだ、ポチよ……。あの酒はどこで手に入れた? あの酒のおかげで三回も吐いてお腹スッキリだ。ひょっとして、僕を消し去る気ではないでしょうね? 怒らないからさ。ぜんぜん怒ってないからよ……半殺しにされてもよい服装で、僕の部屋(一〇五号室)まで、至急来てくれないだろうか? 真の和解にむけて話し合いでもしようじゃぁないか。

 

 

BANAR.GIF - 9,537BYTES

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送