「悪書ペンギンをよろしく」 〜新庄町〜

 

 「あんた、オモチャの飛行機ほしいんだろ? 買ってやるよ」

 平素はおっかないの妻が、何をトチ狂ったか突如優しい言葉を口にした。

 彼女のいうラジコン飛行機は、僕が前々より欲しくて欲しくて、子供をダシにオモチャ屋へ立ち寄ってはショーケースに張りつき、眺め、そして頼りない月々のお小遣いに半ば諦めてた物件である。
 彼女はそれを、買ってやろうといいだしたのだ。

 思わぬ事態の好転にたじろぎつつも、鬼の気が変わらぬうち、いそいそと家族全員で玩具店へ走った。
 そこでうまい具合に特売されていた、フルセットで数千円の安いラジコン飛行機を買ってもらったのだが、これが遊んでみると極めて爽快だった。人目もはばからず、近所の公園で一心不乱に飛ばしていたが、説明書を読めば対象年齢十才と書いてある。条件は楽々クリアーしているものの、素直に喜んでいいのか? 僕の精神年齢も十歳という意味なのかな?

 たとえそうでも別段気にせんが、たかがオモチャで興奮している顔を、おしゃべりの奥さん連中に見られるのは、ちと具合が悪い。あまつさえ、おもちゃの飛行機を浮かすまでもなく、この界隈じゃ僕がみごとに浮いてる。
 ゆえに僕は内心のエクスタシーをひた隠し、海峡をみつめる高倉健のような険しい表情で遊ぶしかないのだが、どのみち幼児のオモチャで遊んでる状況に変わりないじゃないかと思い、その中間の “海峡をみつめて、少々興奮してきた高倉健” の楽な形相で遊ぶことにした。男四十も過ぎると、ただ遊ぶにも色々と気を使うのである。

 そのうち、飛行機を飛ばすのに近所では手狭になってきた。それで僕は新庄町にある、屋敷山公園へ行ったのだ。

 ここで私的な見解だが、新庄町は金持ちじゃないのか? 設備の整った広場はたくさんあるし、夏の花火大会は、二千発の花火を上げて見物客を集めてる。
 だがそれも、いやしい見方をすれば相当の銭が夜空に消えているということだ。では花火とは一発いくらするのか? 気になったので花火の値段をしらべてみた。

 すると花火大会において、基本的に一発いくら、という計算はあまりしないそうだ。それより予算と打ち上げ時間を考え、テキトーにやってるらしい。
 緻密に計算された芸術のイメージも、なんだかテキトーですみません……が実体のようだが、それでは面白くないから、強引に一発の単価をしらべてみると、

●四号玉(爆発したときの直径が百三十メートル)で六千円
●七号玉(二百四十メートル)で二万四千円
●十号玉(三百二十メートル)で六万円

ほどになるそうだ。これはあくまで参考価格だが、これってけっこう安いように感じる。
 しかしそれで “新庄町は裕福なのかどうなんだ疑惑” が消えたわけではなく、その根拠はまだあるのだ。「新庄音頭」という、ストレートすぎて照れくさいタイトルの曲がそれである。

 これを作曲したのは浪速のモーツァルトこと、キダ・タロー氏。彼ほどの著名人なら料金もはるだろうし、やっぱりオマエ金持ちやろ? などと、他人の懐を詮索するのに如才ない僕だが、今日は遊びにきたのであって、町が裕福であろうとなかろうと、残念ながら手前の懐にはまったく関係がない。
 頭を切り替えた僕はアヒル池の畔を通りすぎ、餌を求めて近寄ってくる白鳥をグラムで値踏みしながら、ようやくラジコンで遊びはじめたのである。

 快晴の空の下、いちばん奥のグラウンドで飛行機を飛ばしたのだが、モスグリーンの飛行機は突然バランスを失い、緑深い森へ墜落。早速のロスト危機に、少々青ざめて辺りを探していると、草むらの中にたくさんのエロ本が投棄されているのを発見した。
 誰や! こんなもの捨てるやつは。こういった青少年の徳育上問題ある雑誌はな、不法投棄せんと悪書ペンギンに食わせたらどやねん!……などと思ったが、そういえば最近、あまり悪書ペンギンを見かけないな。どこへ行ったのだろう。

 むかしは町のいたる所に立っていた。こんな感じである(上図)。ペンギンの口が今でいう、図書返却ポストのようになっており、不用になった成人雑誌は道端に捨てず、このペンギンに入れてください、という主旨のものだったが、それがお笑いなのである。

 ペンギンのお尻には、ドラえもんの四次元ポケットみたいな取り出し口がついており、ナンバー式の鍵で施錠されていた。しかし、その鍵が誰でも簡単にはずせる安物だったおかげで、僕たち青少年は、最新鋭のエロ本を欲しいまま手に入れることができたのだ。まさに夢のポケットだったのである。

 さて、このペンギンの尻からは悪書だけでなく、いろんなものが出てきた。たとえば空き缶や生ゴミ。学校の教科書が入っていたときは、捨てたやつのセンス良さを皆で笑ったものだ。
 そんなある夜、僕がひとりで悪書の回収に出かけると一通の手紙が入っていた。ピンクの封筒には「××××よしえ さま」とだけ平がなで書かれており、住所も切手もない。読んでみると、

「ママへ。よしきがひとりでびょういんにいくっていいます。でもどようびにみんなでいきます。よしきがざりがにをもっていくといいます。ざりがになんかいらないよね。……」

 短い内容だったが全文を読むと、どうやら姉弟の母親が入院しているようであった。なんとなく、このままにしておけない気がしたので、切手を貼って正規のポストへ入れといた。住所もないので郵便屋さんは大変だろうが、そこはプロである。なんとかしてくれるだろう……というか、切手を貼ってんだ、仕事してやれ。

 しかし理由は知らんが、最近はペンギンも数が少なくなっているようだ。なんとか復活できないものか。
 あのペンギンさえおれば公園に捨てられる悪書もなく、僕が拾って処分する必要もない。くっついたページをはがす必要もないし、アイロンもいらないのである。
 こんなもの、忙しい大人には迷惑なだけだ。だから「町にもっとペンギンを!」と、僕は提案したい。そしてもう一つ

「鍵はぜひ、ナンバー式を」

 海峡を見つめる高倉健のまなざしで、冷静沈着に提案しているのである。

 

 

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