「イグ・ノーベルの香り」〜鍋倉渓谷〜

 

 早朝、玄関に据えつけた郵便受けをのぞくと、一通のハガキが届いてた。差出人は「関東管財局」とあり、文面を要約すれば「借金返せ。裁判所命令で差し押えられるまえに、全額返しなさい」といった内容が書かれてる。一読して「これが巷で話題の架空請求か」と、すぐに察しがついた。

 この手の悪徳商法は噂に聞いていたものの、まさか我が家にまで届くとは驚きである。しかし、世にきく悪行の裏側には、どんな人間が潜むのか? 俄然、興味をそそられた僕は、直ちに赤字で印刷された番号へ、電話してみたのである。以下はそのやりとりだ。


男 「はい、関東管財局です」

僕 「あの、借金の催促がきたんですけど、金額はいくらですか?」

男 「三百二十円ですね」――えらく安いな。

僕 「そうですか。じゃ、すぐに払いますので振込先を教えてください」 むろん、一円も払う気などない。

男 「ちょっと待ってください、元金のほかに手数料が三十万円かかります」

僕 「さっ……三十万? 寝ぼけとるんでっか!?」

男 「心配いりません。入金が確認されしだい、手数料はすべて返金しますから」 

 いきなり無茶苦茶な話である。返金されるカネを、何故にわざわざ振込まなくてはいけないのだ。
 しかし、この場はさわやかに「それなら非合理的で、とても安心ですね」 と答えておく。電話口の男は、僕が非合理的といったのを気づかないのか馬鹿なのか、一段と高揚した声でこう続けた。
 「あと、延滞金や弁護士費用、消費税も必要なんですよ……返金しますが」 この男、にわかに払うような素振りを見せたら、どんどん値をつり上げてくるのだ。第一、消費税まで返してどうする? 徐々に、悪徳手口の全容が見えてきた。
 「高い! 返金してくれる言うても、そりゃ高すぎるで。もっとマケてえな」 と、つかず離れずの距離で探りを入れてみた。僕は値段交渉が得意だ。こうなったらトコトン値切り倒して、悪党に無意味な労働をさせてやりたくなったのである。
 受話器にツバを飛ばし「もっとマケろ、いや無理だ」の激しい攻防のなか、ふいに家のチャイムがなった。そうそう、今日は三人の女子大生が遊びにくる予定だったのだ。

 というわけで、いつまでも遊んでいるわけにはいかず、総額が百二十万円に膨らんだ時点で、いきなり「はとポッポ」を受話器に唄い、一方的に電話を切ってやった。
 三百二十円が百二十万とは、勇んで傷口の広がった感は否めないが、後に連絡した警察からは大変なお叱りを頂いたので、決して真似はしないでもらいたい。この手の詐欺は、無視するのが一番有効だそうである。

 さて、東京から来たこの娘たちは比較的新しい友人だが、ひょっとして僕は若い女にモテるんじゃないのか? そういえば、最近やたらに女性の客人が多いし、やはり僕はただの中年に収まらない人物だと思っていた。
 ではなぜ顔面神経痛の寸詰まり男がモテるのか、心当たりを思い巡らせれば、それは「自分はモテる」と信じてるからに違いない。それには科学的な証拠すらあるのだ。

 先日読んだ雑誌の記事だが、イグ・ノーベル賞を受賞した研究に「足の匂いの成分」を追求した日本企業があった。その中で「自分の足は臭い、と思っている人の足は臭い」法則があるらしい。そんなもんパロディーじゃないか……などとバカにしたらいかんのである。つまり、思い込みが大事なのだ。モテると信じればモテるし、足だって臭くなる。

 ではなぜ、自分がモテると信じるのかについては、残念ながらまったく根拠がない。勝手に思ってるだけだが、さりげなく娘たちに僕の魅力を訊ねてみた。すると、
「えっ、魅力? 奈良に住んでるってことかな? そんなことより、早く鍋倉へ行きましょうよ」と待ちくたびれた声で催促してくれるが、アンタこのまま新幹線で帰ってくれてもええんやで。腹も痛くなってきたし、今日はどこにも行きたくない……そうぼやくと、即座に「顔よね」「ハートですよ」「財力!」と三人声をそろえて返答してくれたので、財力はちょっと違うやろ〜うへうへぇなどと照れつつ、さっそく鍋倉渓谷へ向かうことにしたのである。

 さて、車に乗り込んだ四人は名阪国道を東へ、神野口インターを出るとまもなく鍋倉渓谷が見えてきた。
 突如、目の前にあらわれた渓谷をひと言で説明すると「なんじゃこりゃ?」である。黒い石がゴロゴロと、まるで川を流れる水のごとく無数に山から落ちてる感じだ。
 なにゆえこんな具合になったのか、はっきりした理由はわからないそうだが、昔の人が作った人造物の可能性もあるらしい。さすが昔の人はスゴイ……というか、意味不明というか。

 しかし、この無意味さが意外に重要だったりする。たとえば「これは昔の人が作った“畑”です」と言ったって誰も見ないが「なんの役にも立たない上に意味不明です」と宣伝すれば観光客が押し寄せる。なるほど、無意味ゆえに意味深である。

 さしあたって我々は、石の川の脇に作られた木の階段を上ってみた。すると一人が
「奈良に来るとさ、体に水が流れ込むみたいなんだよね」なんてしみじみ呟く。僕はよく知らないが、都会生活もなかなか大変なのであろう。
 関東の話題が出たついで、僕がさっきまで東京の悪徳業者に電話していたこと、そして値切ったら百二十万になり、はとポッポで商談終了した話などを語ると、彼女たちはケラケラ笑っていた。彼女らに、また水が流れたようである。

 やがて見学を終え、三人を駅まで送ってから帰宅した。朝から家で留守番していた奥さんに、僕が大変モテる人間である事実を、イグ・ノーベル的根拠も交えて説明してやったのだが、奥さんいわく
「じゃぁ、アンタの足は非常に臭いが、自分でも臭いとわかっているのか?」と、なんだか異様に機嫌が悪い。

 確かに僕の足は少し香る。時々、ほんの少しだけ臭うかもしれないな〜と、感じているのは認めるが、それがどうして連日暴力的な異臭を放つかは、今後の研究結果を待ちたいところなのである。

 

 

 

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