「もんもんパパ」 〜どろかわ温泉〜

 

 今月も、なに一つ書けない原稿の締め切りが迫っていた。こんな時、金のない僕は近所のファミレスで、二百八十円の薄いコーヒーをひとつ注文する。そして、白紙の原稿を額に押しつけ、あいかもわらず寝てるのが慣例である。

 しかし、今回は気前よく遠出してみた。時間的余裕もないことだし、このさい多少の出費は覚悟のうえ、孤独を求めてやってきたのが、ここ天川村どろかわ温泉センターだ。
 しかしである。孤独を求めるのに、ファミリー温泉を選択したのは大きな失敗であった。

 温泉センターの休憩室に丁度よいテーブルを見つけたので、メモ用紙と缶ジュース、そして道の駅で拾った地図をその上に置き、そそくさとメモを書きはじめた。

 だがその周りでは、五人の子供が奇声を上げて走り回り、一人はそばに置いてあった上着に倒れ込んで鼻汁をつけ、一人は僕の耳をハイキックである。おまえの親は何をしてる!?
「おじちゃ〜ん、なにしてんの?」 と、猫なで声の女の子が、唯我独尊たる態度で机上に腰を下ろすが、君こそ何をしているのか? 一体、こんな状況でも僕の望む孤独が手にはいるのかどうか。まったく自信はないが、ひとまずメモだけは続けたいと思う。身銭切って、わざわざここまで来たのだから。

 ここではっきりさせておくが、僕はガキが苦手である。しつけの行き届いた子供でも、できれば僕の五メートル以内に近づかないでもらいたい。鼻汁を制御できない奴は十メートルだ。
 しかしどいうわけか、僕は子供にとってイジリ易いタイプらしい。そういえば以前、関東の温泉へ行った時にもこんなことがあった。

 バイクでその小さな温泉に到着した僕は、湯船へ入るまえに休憩室で茶を飲んでいた。
 しかし長旅で疲れた僕のまわりを、四、五歳くらい女の子が走り回って落ち着かない。
 その子がまた、とにかく声の大きい子供で、耳障りだから場所をかえようかと思っていた矢先、彼女はボテッっと音を出してこけた。そして、そのはずみで飲みかけの茶をこぼしてしまったのだ。

 彼女の異変に気付いたのか、すぐさま遠くにいたお父さんが走ってきて
「すみません、お茶が全部こぼれちゃいましたね。娘が騒いですみません」 そう深く詫び、新しいのを買ってくれた。ペコペコと何度も頭を下げる父の気持ちを知ってか知らずか、彼女はまた元気に走り回っている。

 しばらくして男湯に入っていると、さっきの親子が手をつないで入ってきた。お父さんが体を洗っているあいだ、その子はまたまた僕にまとわりついた。
「パパのはおーっきいのに、どうしておにいちゃんは……?」などと無邪気に人の下半身を指さすが余計なお世話である。指をさすな。

 しかしながら、さすがに僕も大人である。たかだか子供の無邪気な発言に、いちいち目くじら立てたりはしないが、昨今において、ハンディーサイズの持てはやされる小型化傾向だけは、彼女が泣き出す寸前まで説明してあげるつもりだ。

 一方、僕と対比されていた洗い場のお父さんを見ると、その背中には見事なモンモン(入れ墨)が彫り込まれていたのである。正直、ちょっと驚いた。どう見ても優しいサラリーマンパパにしか見えなかったが、人は見かけによらないもんだ。

 やがて少しのぼせてきたので、彼らより先に湯から上がることにした。脱衣場で服を着ていると、外にある受付から男の叫ぶ声が聞こえてくる。
「おいっ、入れ墨者が風呂に入っているじゃないかっ、ここはそういう人間も入れるのか? 他の客に迷惑とは思わんのかね」 そう怒鳴って、受付のおじさんを責めているようだった。叫んでいるのはたぶん、先刻に出た中年オヤジだろう。文句があるならば直接本人に掛け合えばいいと思うが。

 僕が脱衣場から出ると中年オヤジはもうおらず、代わりに受付のおじさんがモジモジしながら近づいて来てこう言ったのである。
「あのぅ、誠に申し訳ないのですが、そのぅ当方では入れ墨の方の入浴はご遠慮いただいておりまして……」おっ、俺かいなっ?

 まったく青天の霹靂のような展開にドギマギしていると、あの親子が手をつないで脱衣場から出てきた。
 何も知らない親子はそのまま休憩室へ歩いて行き、部屋のいちばん隅っこで、一本のオレンジジュースを分け合い飲んでいた。お父さんは娘の頭をタオルで拭いてる。くすぐったそうに女の子はぐねぐねと体をよじった。そして僕は、受付のおじさんに言ったのである。

「それやったら看板でも置いとけば、判りやすいんと違いまっか。」と低い声の、わざとらしい関西弁であやまる。すると
「はいっ、設置します! すぐ看板設置しますっ」 と、おじさんはまるで、上官に叱られる二等兵のような返答で小気味いいが、問答無用で間違われるのは気分のいいものではない。
 温泉を出てからも、むすむすしながらバイクにまたがり、その温泉を後にしたのだった。

 そんな話があったのも数年前になる。ふらりと立ち寄った町の銭湯などで、子供が騒ぐのを見ると、あの親子を懐かしく思い出したりもする。

 今日、どろかわ温泉で出会ったこの子らも、今でこそちょっかいもかけてくるが、あと十年もすれば、見知らぬ僕など見向きもしないだろうな。それは、それで切ないかも知れないなあ……などと、しおらしく僕が感傷的になっているかというと一切そんなことはなく、やはりこいつらは小悪魔の如く、ひたすらにうるさいから嫌いである。

 こらこら、勝手にしがみつくなクソガキ。とくに男子、鼻汁を拭くまで絶じて僕に近寄るな。
 そして女子、二十年たったら当方から連絡する。その時は全力で近寄れ。ええか? 全力やぞ。


 

 

 

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