「妻が一心不乱である家の近況」



 かなり以前の話になるが、テレビで書家・相田みつをのドラマ番組が放送された。

 それは相田氏が世に出るまでに経た家族の苦労、彼が費やす紙代で家が傾いていった経緯などをドラマ化したものだったが、その中で彼の作品が飲食店のトイレに飾られているワンシーンがある。そして偶然、それを見つけた相田氏の友人が彼を侮辱するのだ。
「便所の飾り物にされて、情けなくはないのか」って。
 でも本人はトイレに置かれるのもやぶさかでないようだし、実際、僕も相田氏の作品をトイレでよく見かける。

 先日も、ぶらりと立ち寄った百円ショップの便所で、彼の詩とおぼしき作を見かけた。しかしよく観察すると、それは字体だけ真似た偽物なのである。
 偽物と呼んで失礼ならば他人の作としておくが、相田氏の書体を真似る人は多い。誰にでも簡単に書けそうな気がするから。
 けれども、それは似てはいても遠く及ばないように感じる。極端にシンプルで短く、それでいてバックグランドまで伝えるのは容易な仕事じゃないのだろう。

 ところで話はがらりと変わるが、今回は寺のトイレに見つけた貼り紙について紹介したい。

 そもそも、僕は寺社関係に一方ならぬご縁があった。インドの日本寺では永く世話になっていたし、新婚旅行は長野の古寺に宿泊した。しかも僕の息子などは、どう計算してたってその寺の本堂で受胎したとしか考えられんのである。
 真夜中のお堂で、しかもお釈迦さまの像に見守られながら生をうけたのだ。おお、なんという有り難き子宝よ……というか、おまえら寺で何しとんねんというか、とにかく家族一同、寺とはたいへん縁の深い関係なのである。

 さて、いろんな寺を巡って気づくのだが、寺院のトイレは大抵どこも清潔である。トイレ掃除も修業の一つだから、いっそう入念に手入れされてる事情もあろうが、例の貼り紙は、とある小さな寺で突如として目の前に現れた。

 美しい伽藍のその寺で、用足しのために開き戸をあけて目を疑ったのである。その和式トイレには壁四面に注意書きの紙が、尋常とは思えないほど大量に貼り付けてあったのだ。墨で書かれた文面を読んでみると「清潔に」とか「紙以外は流すな」など、その辺りまではきまり文句なのだが、そのほかに細々とした指示がやたらに多い。たとえば
「水が止まりません。レバーを戻してください」 や 「横積み禁止」 などと書いてあり、横積み禁止とは“便器の外にするな”という意味だろうが、それが達筆なだけにおかしい。よほど神経質な管理者らしいが、とにかく僕は便器にしゃがみこみ、左手でトイレのドアを押さえながら用を足していた。ドアには
「扉が閉まりません。手で押さえてください」 の文字。まったく忙しいトイレである。

 用を足しながら正面の壁を見ると 「横積み厳禁!警察呼びます」 と書いてあるが、もはやウケ狙いではないのか? 

 やがて、用のすんだ僕がトイレットペーパーをさがすと、またもやこんなはり紙だ。
「紙は後の壁にあります」 なぜそんな場所に置く? 左手でドアを押さえながら、どうやって真後ろの紙が取れようか。だんだん横積みの原因も判明してきた気はするが、背に腹は代えられない。腰の位置は固定したまま、勢いよく上半身だけをひねってサッと掴む。背骨がミシと鳴った。

 上海雑伎団のような小技で一段落し、もう一度はり紙を読み返していると 「……警察呼びます」 うんぬんの横にエンピツで小さく、こんな落書きがあるのに気がついた。

「おまわりさん、うしろの紙をとってくれ」 僕も君に一票である。

 ところで私事になるが、我が家のトイレにはドアがない。数年前に奥さんが扉を捨ててしまってからというもの、うちのトイレは個室じゃなくなった。どうして扉を捨てたのか尋ねたところ、ひと言 「じゃま」 だそうである。扉のどこが邪魔なのか理解に苦しむが、今でもトイレはオープンのまま。
 しかし不思議なもので、それも徐々に違和感がなくなってくる。それどころか開放的で気持ちいいぐらいだ。ただし困るのは来客の折だった。

 しかも、それが若い女性だと一苦労する。彼女がトイレに立った瞬間、食卓に残された一同の声が大きくなる。そうしないと皆にトイレの音が聞こえてしまうのだ。当然、水を流す回数も多くなるが、そうそう大量に水を使われてはたまらない。それで残された人員らが大声で騒ぎ、彼女のプライバシーを守るのである。

 ふつうの娘は三回爆笑ぐらいでトイレから戻ってくるが、うちの奥さんは爆笑する前でも帰ってくる。こうなれば、もはや仙人の境地である。怖いものなどないのだろうが……それはいいとしても一応賃貸なんだからさ、勝手に便所のドアを捨てたり、柱を切ったりするのはマズいんじゃないか? 大家が見たらなんと言うか。
 家はガタガタ揺れるし 「部屋が暗い」 とか騒ぎたてて、南の壁に四角い枠を下書きしていたが、窓は絶対ダメである。外から簡単に見つかるではないか。年老いた大家が外を通りかかって窓の数が増えててみろ、失禁したって大袈裟だとは思わない。

 とかく問題の多い妻だが、買い物から戻った彼女に相田さんの書を読ませてみた。すると
「いいわねぇ、これ誰が書いたの?」 と、かなり気に入った様子。
「相田みつを、という人だ」 と教えると彼女はこう訊ねた。
「ナハ・ナハ……の人?」 それは“せんだみつお”である。しかし妻はすでに仙人の境地だから、浮き世の名前などどちらでもいいのであろう。この期に及び、夫婦間に波風を立てる必要もあるまい。僕は適当に
「そうだ。ナハ・ナハの人だ」 と答えておいた。

 先のドラマからすると、彼のような才人を輩出した家族も苦労したようだが、一心不乱に柱を切り倒す女がいる拙宅だって、それなりに家の傾く一編のドラマなのである。

 

 

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