「きなりの人」 〜下北山村〜

 

 どうでもいい仕事の合間をぬって、下北山村へキャンプにやってきたのである。三重との境にあるこの村は『きなりの里』ともよばれ、澄んだ空と温泉の桃源郷みたいにいわれてるが、今夜はここにテントを張る予定である。

 しかし、ごく普通のキャンプでは今ひとつ面白味に欠ける。せめて調理の火ぐらいは自分でおこしてみようかと考えた。ライターは使わずに木をこすり合わせ、その摩擦で火をおこす方法だ。一から火をおこした経験はないが、これも勉強である。
 腹をくくった僕は、いさぎよく持っていたライターを土に埋めた。二度とあと戻りできないよう、背水の陣をひいたわけだ。人間は崖っぷちに立たされて、実力を発揮するというではないか。HIOKOSI.JPG - 102,026BYTES

 さっそく木の板と、できるだけ真っすぐな棒を探してきた。そしてその棒にナイフで丸みをつけ、掌でしごくように棒を持ってまわしはじめた。
 
 こすり合わせた木は、じわじわ温度が上がってきて、やがて白煙を出しながら小さな火だねがポポッ……などという理想的な展開はぜんぜんなく、板も棒も氷のように冷たいままである。いったいどういうことか?
 両手にマメを作りながら、小一時間も木をこすり続けたのに、出てくるのは木クズばかり。苛立つ気持ちを落ち着かせるため、タバコを一服吸いたくなるシチュエーションだが、いかなる事情かライターは地下である。

 心もとない状況のまま、それでも棒をまわしていると、ついに棒が板を突き破ってしまった。

 迷わず、僕はどこかに埋めてしまったライターを探したが、ふつうに探し当てるのは容易ではない。しかし、埋設するときに「地上の草を結べ」 という、古来より忍びに伝わる術を知っていたおかげで、すぐさま掘り出すのに成功した。我ながら、サバイバルが肌に合っていると思うのである。

  さて、今夜は村人のご厚意で私有地にテントを張らせてもらったのだが、夕食後テントで横になってると、日よけの脇に一人の男性が立っているのに気がついた。
 彼は「こんばんわ」そう言って力なく笑っていたのだが、ボロボロの傘を杖にして、立っているのがやっとのようだ。
 服はスス汚れ、靴の先はすり減って指が見えていた。彼はホームレスらしかった。

「す、すみません。なにか食べ物は残っておりませんでしょうか?」 とても丁寧な言葉づかいの彼に事情を聞いてみた。その内容はこうだ。

  彼は東京で事業に失敗し、借金から逃げるため大阪まで歩いてやって来た。東京を出発したのは二年前だった。しばらく大阪で生活していたが、自分を捜している人間がいるのに気がつき和歌山へ逃げた。そして三重から名古屋へ行くつもりだったが、和歌山で彼はひどく飢えてしまったらしく、急きょ、熊野で予定変更し大阪へ戻ることにした。そして熊野から大阪までの最短距離が、この山越えというわけだ。

 しかし、いくら早く大阪へ行きたいにしても、水も持たず山越えはムリじゃないか?
「いいんです。それならそれで……ぼ、僕は何回も死のうと思ったんですけど、こわくて。気が弱いから。ハハ」彼が何かを話すだび、穴のあいた靴の親指がピクピク動くのが、なんとも可愛らしかった。でも彼の「ちなみに〜」と、リズムをつけてから話すクセは、ひとこと多い気もするが。

「なんでまた、大阪へ?」 不思議に思ってたずねると
「食べ物に困らないし、大阪って元気でしょ? だから好きなの。こんなにたくさんの星は見えませんけどね」 という。そして、
「知ってます? 大阪のちっちゃな会社が集まって、人工衛星あげるんだって! すごいよねぇ」 と目をキラキラさせて嬉しそうに話しているが……すごいのはアンタである。食うや食わずの生活で、宇宙のロマンを語ってる状況か?

 まるで突拍子もない、彼の話題にたじろぐ僕だったが
「まいど一号でしょ? 東大阪の。かっこいいッスよね、あれは渋い」 と答えてしまった。僕も以前にテレビで見た、まいど一号の支持者なのである。 すると僕の返答に気をよくしたオジさんは、ますます宇宙の話が止まらない。しかも何だかわからない、やたらに難しい説明をしてくれるのである。

 「ちなみに〜、相対性理論の宇宙項は残念でしたね。アインシュタインの認めるハッブルの赤方偏移が……」な、なに言ってるんだか全然わからん。アンタ何者なのだ!?
「僕、以前は教師をしてたんです。むかしは子供とたくさん実験したんですよ。楽しかったなぁ。でも、僕の不注意で子供にケガさせちゃって。それで学校をやめて商売はじめたんですけど……むいてなかったみたいです」 そういって彼は笑っていた。

 なんだか、会話して気持ちのいい人だった。とてもピュアな感じがする。放浪でこんな風になったんだろうか? そういえば『きなりの里』のきなりとは、純粋とかピュアという意味らしい。だったら、さしずめこのオジさんにも “きなり” という単語は似合う気がした。

  夜が更けても我々は話し込み、やがて空が明るくなり始めた。
 「じゃ、僕もう行きますから」 そういって立ち上がろうとした彼に握手をし、千円札を一枚わたした。
 すると彼は満面の笑顔で 「ありがとうございます! ほんとにありがとう」 そういって笑った。そしてこう続けた。

「ちなみに〜、和歌山の牧師さんは三千円くれました」

 きなりの男は金の無心までピュアだったが……黙って行けというのである。なぜにまたそこへ座り込むのかと、ピュアの過ぎたる思考回路を、小一時間ほど問い詰めてみたいものである。

 

 

 

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