「笑う観音さま」 〜長谷寺〜



 日本には 「わらしべ長者」 という有名な昔ばなしがある。

 むかし、働き者の貧しい青年が、近所の寺にある観音さまへお参りし 「暮らしが楽になりますように」 と願をかけた。彼のたのみを聞いた観音さまは、青年に一本の藁(わら)を与える。そしてその藁がドラマティックな物々交換で、最後には長者屋敷に化けてしまう話だが、じつは最初、その青年に藁を与えた観音さまが、桜井市長谷寺の観音菩薩であることはあまり知られてない。
 たまたまその話を聞いた僕は、早速、いつものスクーターに乗って桜井へ出かけたのだった。

 長谷寺は真言宗豊山派の総本山で、本尊の十一面観世音菩薩は木造仏として、日本最大の大きさだ。寺の山門を過ぎると長い石段があり、それを登りきると仏像の安置される本堂へ到着する。

 話は変わるが、僕はガキのころから仏像を眺めるのが好きだった。かといって宗教に関心があったわけじゃなく、名の知れた仏像を作った人間のプシュケを、好き勝手に憶測してみるのが趣味だったのだ。
 そんな少年期を、ただの根暗少年と誤解されても困るが、クラスの誰かが作った 「うざい奴リスト」 において、僕が長年トップ独走状態だったと知ったのは、二十年ぶりの同窓会での話である。

 ともかく、少年時代は木造仏に熱中しており、それが自信満々で彫られた仏像か、それともライバルに負けじと頑張ったかなど、俗っぽく詮索するのが日課だった。そして知らぬ間に感化され、いくつかの仏像を彫ってみたのだった。

 僕が初めて彫ったのは、木造の小さな不動明王だ。俗に 「お不動さん」 と呼ばれる憤怒(怖い顔)の仏さまだが、下手なりに丹精込めて彫りあげた。初挑戦にしてはよく出来たお不動さんだったが、その仏像は理由あって現在所有してない。

 それは高校一年の時、通学途中のバス停で毎日見かけた、見知らぬ女子高生に恋をした時のエピソードである。僕は彼女の名前すら知らなかったが、恋しい気持ちは募る一方。そしてある日、意を決して彼女に告白したのだ。

「す、好きです! これ、ボクの気持ちです」

 そう叫びながら渡したのは、ウサギ模様の包装紙と、ピンクのリボンで飾ったかわいい小箱。中身は不動明王だった。僕が初めて彫った例の仏像である。包みと手紙を受け取った彼女は、すこし動揺しながらも 「えっ? ありがとう」 と、軽やかなステップでバスに乗り込んだ。その笑顔を見た瞬間 「イケる」 と直感した僕だったのだが、翌日から彼女は通学ルートを変更したようである。ぜんぜん見かけなくなった。
 ただ、純粋な気持ちを伝えたかっただけなのだが、純粋さと不気味さは紙一重だ。残念なことに、恋に病む当人には、なかなかそれが解らないので注意が必要である。

 そんなこんなで、僕は二人の女性に自作の仏像を贈った。だから今は、一体も持ってないのである。

 さて、長谷寺の観音様の頭上には小さな顔がたくさん並んでおり(それが十一面観音像の由来である)とくに、観音様の後頭部にある顔は大笑面と呼ばれ、我々はふだん、そのお顔を正面から見ることは出来ないが、こんな感じである。

 やたら世俗的というか、人格崩壊というか、お世辞にも上品な笑顔とは言えない。これではまるで、駅前のパチンコ屋で一人勝ちしてるオバちゃんと変わらないが、どうして微笑ではなく“爆笑”なのか?

 一説によると 「人間の愚行を笑い飛ばし、善行へ導く」 とも言われるが、自分的にはと 「表裏一体」 という意味ではないかと解釈している。
 たとえば会社で、ソリの合わない同僚の転勤が決まったとする。そんな彼にはきっと、こう囁くだろう。
「そんなにガッカリしないで。庭に野菜とか作ってさ、いい大根が出来たら送ってくれよ」 などと表むき慰めつつ、胸中この顔である(図)。そしてそんな意地のわるい僕に、観音様はこの顔だ(図)。ついで初対面の少女に仏像贈るバカにもこの顔であろう。

 さっきの続きだが、自作の仏像を贈ったもう一人の女性、それは僕の婆ちゃんである。当時、老衰で入院中だった婆ちゃんはもう先が長くなかった。
 まだ幼いころ、親戚中から怪訝な顔をされるほど愛嬌のなかった僕を、唯一、可愛がってくれる変わった女性だった。彼女の容態を知らされてから、彼女の回復を祈願すべく西国三十三カ寺を巡礼しつつ、婆ちゃんのつよい要望で大黒天の仏像を彫った。満面の笑みで俵を踏む、明るい仏さまだ。

 やっと完成した仏像を、ベッドの上で、息も浅く寝ている婆ちゃんに見せた。すると、彼女は目を細めてこう言った。
「うん、うん。いい大黒さんだねぇ。でも、お顔がちょっと泣いてるねぇ」と。

 なんでやねん、間違いなく大黒さんは笑ってるで。これ以上、どうやって笑わすのや? 目まで悪くなったんか……などと冗談混じりで、死にかけている婆ちゃんに悪態ついていたが、よくよく考えると作者の気持ちがノーマルでなかったからかも知れん。彫ってる奴がベソをかいてちゃ、やっぱりそれはダメなのである。そしてすぐ、婆ちゃんは逝った。

 思い起こせば長谷寺はあの時、僕が巡った西国三十三カ寺の八番目の札所だ。朱印帳を片手に、この長い石段を走って登ったな。そして一心不乱にお願いをしたっけ。
「婆ちゃんが楽になりますように。ついでに、僕がモテますように」
 なぜか、後半のお願いに力が入ってしまうのは、男の悲しい性である……というか、巡礼も終盤になると 「僕が楽にモテますように……」 と、どんどん進化していたような気がする。婆ちゃん、アホな孫ですまぬ。

 けれども、そんなデキのわるい孫と婆を、この観音さまが後頭部で爆笑していたと知り、なんだか、僕も少し気が楽になったようだ。
 婆ちゃんがあんなに欲しがった笑顔の仏さまを、まったく彫れなかった僕にはな。

 

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