「仮面ライダーの秘密」〜あやめ池遊園地〜
よく晴れた日曜日、家族を連れあやめ池遊園地へいってきた。 当日、あやめ池に到着してから知ったのだが、この遊園地もあと数日で閉園が決まっているらしい。そのせいか園内は予想よりも混雑していて、お目当ての「機関車トーマス展」で家族と別れた僕は、いずれ消えゆく遊園地の見納めでもしておこうか、という心境になったのである。 あえて告白すれば、こう見えても僕は昔、パチンコ釘師だったのである。釘師というのはパチンコ台の釘をハンマーで叩き、入賞する玉の量を調節する職業なのだが、元釘師としての経験からこの古いパチンコ台の釘を評価すると……こいつが最悪なのだ。これほどひどい釘は見たことがない。いかにも長い間ほったらかしにしてたぞ、といった状況で、命釘が強力に締まってる。職人だった僕が見れば、こんな台で景品など取れないのは一目瞭然だが、どうせ暇つぶしなんだから、出なくたってちっとも構わない。とにかく旧友と再会したような感動のまま、錆びた玉を弾いてみたかったのだ。 電動で打ち上げられた玉はスルスルと天から落ちていき、それ見ろ一発も入らないじゃないか……と思ったら全然そんなことはなく、狂ったように入賞口に入るのである さて、ゲームセンターを出ると「仮面ライダーショー」と書かれた看板を見つけた。懐かし。思えば、生まれて初めて訪れた遊園地もあやめ池だったではないか。たしか「ヨシオちゃん」の家族と一緒に来たな。そしてその時、幼い自分は仮面ライダーに抱っこされ記念撮影してもらったのだ。仮面ライダーのサイン色紙と記念写真。今でも大切に保管してあるが、その写真には顔を真っ赤にし、仮面ライダーの腕の中で暴れまわっている僕が写っている。なぜ、そんなにも激しく抵抗していたか? 忘れもせん。それは、抱っこしてくれてる仮面ライダーが、むちゃくちゃに臭かったのある。そいつは夏場の柔道着に似た強烈な臭いで、僕は憧れのヒーローに抱っこされながら「コイツ、臭っさ」などと、正義の味方に対して失礼極まりない感想を持ってしまったのだ。 夏だったから、きっと着ぐるみの中はアルバイト青年の汗で充満してたんだろう。それがライダーの表面までしみ出て、鼻が痛いほどの悪臭を放っていたのだ。現在のライダーはそんなこともないだろうが、当時、僕よりも熱烈な仮面ライダーのファンだったヨシオちゃんなどは、ショックのあまり泣きながら母のもとへ逃げ帰ってきたほどだ。 「どうしたの? 仮面ライダーが怖かった? だいじょうぶよ。ライダーはヨシオちゃんの味方よ」などと呑気に彼の母は笑っていたが、ヨシオちゃんはライダーが怖いわけではない。泣き叫ぶ彼に代わって「あいつ、異常に臭いんや! 病気やで」と通訳してあげたい気分だったが、ヨシオちゃんは号泣しながらも「ライダーサイン会」の列に走って行っちゃったので、その場は黙っていることにした。恐るべきはファン心理である。でも、僕はあんな奴のサインなんていらない。なのに、何も知らない親たちに背中を押され、強制的に列へ入れられてしまったのである。 やがて順番がまわって来た。握っていた色紙をライダーにわたすと、イスに座っていたライダーは、ちらと僕を一瞥し、慣れた手つきで色紙にサインを始めた……その時である。得意気にサインしてるライダーに向かって、僕はこうつぶやいたのだ。 子供心にも、そんな彼の自信にあふれた姿はカッコよかった。どんな言葉にもまったく動じない彼を、改めて見直してしまったのである。 しかし、最近になってその色紙をよく見てみると「仮面ライダー」とサインすべきところが「仮面ライター」と最後の濁点が抜けており、まるでエロ作家のペンネームみたいになっていた。彼も内心は、かなり動揺していたんじゃないか? 今さらながら本当に申し訳ない。 想いかえせば、一枚の白黒写真と幼少の思い出をくれたこの遊園地も、あと数日で七十八年の歴史を閉じる。さよなら、あやめ池遊園地。そして仮面ライター。このサイン色紙にプレミアがつくのは間違いないと確信してる。なにせ、世界にたった一枚しかないミスサインなんだから……というか何枚もあったら、おまえやっぱり病気なのである。
≪2004年6月6日、あやめ池遊園地は閉園しました≫ |
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